のまどのまど

音楽や芸術について、気ままに書いたり描いたりする雑記ブログです。

ブログの書き方とは?(あるいはその困難さについて)

お久しぶりです(定期的に読んでいる人がいるとして)。

ほぼ一ヶ月更新していなかったんですね…。

時の流れは早い。

 

なぜこんなに放ったらかしだったのかというと、単純に「ブログに何書いて良いのかわかんなかったから」なんですね。

考えれば考えるほどわからなくなってしまったのです。

で、いっそそれで記事書いちゃえ、ということで今に至る。

 

ブログってどんな記事書くの?

ほんと謎。というか、みなさん守備範囲広すぎじゃない?イチローかよ。エリア51ですね。

わたしの場合明らか雑記ブログなんですが、それでも他のみなさんのようなバリエーション豊かな人生送ってないので、ネタがないんだよなぁ。

 

基本的に晴読雨読の完全インドアスタイルなので、生活に彩りはないですね。

読む本も、あんまり流行りのものじゃないから、レビューという訳にもいくまい。

電子機器に詳しいわけでもないし、ライフハックの引き出しがあるわけでもない。

じゃあ何があるんだっていうね!

 

 

 

 

 

 

何もないよ!!

 

 

過去からネタを探してみる

とかく多方面に向けて乏しい生活だもので、現状手のひらには何もないのではないかと思われる次第です。

つきましては、せめての悪あがきで過去の自分を振り返ってアラもといネタを見つけてみたい所存。

 

 

 

小学校・・・不登校

中学校・・・不登校

高校・・・部活

大学・・・うつ、休学

大学院・・・研究

社会人・・・うつ

 

 

 

 

ひどい!

乏しい!

暗黒!

2/3がマイナス!

 

これで一体何が書けるというのか…。

まぁ、社会人になってからのうつについてはすでに書いておるので、ネタにならないことはないんでしょうけど…。

なんかもっとハッピーウレピーな経験があっても良かろうに…。

 

 

悩み系のブログに繋げればあるいは?

どうやら世間ではお悩みに関する記事に需要がある様子(のまど調べ)。

そこで、不登校やうつについての記事を書いてお悩み解決に繋げたらどうだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

解決策なんて 知 ら な い

 

 

うつなんて「医者に行け」としか言えないし、不登校に関しては貫きましたからね。

 

お悩みブログというよりも、お病みブログですねこれ。

自らの恥部を晒して共感してもらう系…。

 

いや、でも、いけるか…?(いけない)

 

過去からの教訓として書いてみるのはアリですかね!

こんな人間でもどっこい生きてるんですよって全世界に発信していく感じ。

(なおドメインパワー

 

 

じゃあなんでブログ続けるの?

なんででしょう。何かこう、今までの漫然とした日常に少しでも変化をつけたい、という思いが強かったのが最初だったように思うんですね。現状からの脱却というか。

 

どうにもわたしの生きている界隈は、人間関係や人々の視野が狭くて、息苦しいんです。もっとこう「わたしってこんなですよ!!」って言いたいけど、うまくできない、みたいな、ね。自己表現とでも言うのか。

知らない世界に魅力を感じていたのもあると思います。

 

「ブログ何書いたら良いかわかんない〜」と言いつつも、知らない世界に対する興味や関心は消えなかったわけで。

出来ることなら、自己表現もしたい。

それなら、もう少し噛りついてみようかな、と。

今まで割と飽き性なところがあって、色々続きにくかった過去もあり。ブログ一つでも続けられたら、意味があるんじゃあないかと考える次第。

 

結論:まだ続けます

もうちょっと頑張ってみようかと。

せっかくブログ作ったんで(この時点で褒めてほしい)、出来るだけ続けて、これからの自信に繋げていきたいですね。

 

今のわたしにしか書けないこともあるだろうし。特定分野の話なら、それなりに出来る気もしてる。需要があるかはわからないけれど…。

 

 

と言うわけで、まだ「のまどのまど」は続きます。

(そもそもそう言う話だったか)

 

(全然関係ないんですけど、書店で「文章の書き方」を謳った本を見たら、これ( )使うのは文章力ないことを宣言してるようなものって書いてあったんですがreally?個人的には口語的な文章にアクセントとして使えて好きなんですけど…)

 

 

今後ともよろしくお願いしますね。

かしこ。

雨の音を聴きながら…。

今週のお題「雨の日の過ごし方」というお題を見つけたので、書いてみます。

 

わたしは雨の日が大好きです。小雨でも大雨でも、雨の音が聴こえるのが好きです。

 

ノイズにも似た音たちが、わたしの耳から入りからだを満たす。

周りの雑音を遠くにやって、いっときわたしを現実世界から切り離す。

息を吸い込めば、わずかに重みを持った湿り気がわたしの肺を冷やす。

 

あの感覚が、たまらない。

 

そんな大好きな雨の日には、これまた大好きな読書をします。

本はいつも持ち歩いていて、暇さえあれば読んでいるんですが、雨の日の読書はまた格別です。

よし、読むぞ、という気持ちが強くなって、いつもはあまり読まない本や、積んだままになっている本に手を伸ばします。

 

窓際に席を作って、音楽に関する研究所や読み物、哲学書に大学時代に専攻していた分野の専門書など、頭が疲れるような本を、時間をかけてじっくり読みます。

 

少し読んで本を置いたら、目を閉じて、雨の音を聴きながらいろいろなことを想像します。読んだ内容をイメージしたり、新しい論点を探したり。わたし自身の考えと結びつけて、理論を膨らませたり…。

 

ときどき飛躍し過ぎてしまいますが、それもまた楽しい。

まるでわたしだけが宇宙の心理に気づいたような興奮を味わったかと思えば、その時考えていたことは一瞬のうちに消えてしまったりもします。

 

からだは雨の音に満たされて、頭の中は豊かな考えに満たされる。

わたしの心がもっとも満足する時間の一つです。

 

思い出したら、わくわくしてきました。

 

明日、雨は降るかしら。

変拍子のみる夢

夢をみていた。

 

三日月のえくぼに溜まった雨水。

 

騒々しい夕暮れ真っ白な脅迫。

 

夢をみていたひたすら同じ夢を。

 

ここにもいなくてそこにもいる。

 

ただならぬ陽気の逆立ちする南向き。

 

等間隔の左腕がゆっくりな太陽にめがけて。

 

ぐうぐうエンジンが声をひそめて。

 

夢をみていた。

 

ころころ朝靄にまぎれて泣きながら。

 

夢をみていた。

 

夕食のなかに昨日見つけた思い出がかけらとなって燃えているのを眺めている。

 

夢をみていた。

 

夢をみていた。

【祝!劇場版!】ラブライブ!サンシャイン!! 〜わたしたち、考察したい!〜【第1期第1話】

突然のテンションで怯えないでください。
 
実はわたしは、にわかラブライブファンでして…。
推しは黒澤ダイヤちゃんです。最高of最高!
彼女の魅力を語るだけで記事が一個書けてしまうのですが、それはまたの機会に…。
 
ついに劇場版が制作決定したそうじゃないですか(浦島太郎)。
これは復習しておかなきゃいけない!ということで、せっかくなのでわたしの武器である構造分析を使って、「ラ!サ!!」の考察を行っていこうと決めたわけです。ついでにいうと、そろそろバンダ◯チャンネル解約したいので、最後に見ておこう、というわけです。文章の密度大丈夫ですか?読みにくいですか?
 
それでは行ってみましょう!
 

考察のスタイル

今回わたしが用いるのは物語を構造として捉えて、それを分析し、考察するという手法です。ですので、あまりキャラクターの感情が出てこないのが特徴かと思います。

 

他サイト様での考察記事を拝見したところ、わたしのようなスタイルはなかったように見えたので、新鮮さを提供する意図もあります。すでにあったらごめんなさい。

 

特に重要なキーワードは「二項対立」「反復」「入れ子構造」ですかね。この記事で全部出てくる訳ではないので、ご注意を。

これらについては、実際に用いられている部分を読んでいただくのが一番わかりやすいと思います。

 

以下はわたし自身の馴染み深いスタイルを使うので、「だ・である」調で書いていきますね。

 

第1期第1話考察

冒頭、千歌が曜と一緒に勧誘を行うシーン

箱を使って他の人物よりも頭一つ高い位置に立つ千歌だが、「輝きたい(普通と違った存在に)」という理想を模索するのに合わせている。この時、曜はまだ水泳部に所属しており、他の人物(一般)と同様の状況であるため、千歌よりも低く、他と同じ位置にいる。
 

学校からの帰り道、千歌が船に乗りながら空を見上げるシーン

ここでは、「海」と「空」という二項対立が登場。海からまっすぐ手を伸ばし、何かをつかもうとする千歌だが、腕をまっすぐ伸ばすことにより、二項対立である海と空が直線的に結びつけられる。これにより、現段階での千歌の位置が非常に低い所にあるということが明示される。
 

果南が鞠里の乗るヘリコプターを見上げるシーン

茉莉の身分の表れでもあるが、一方で果南たちとの精神的な距離も表現している。ここでも、地と空という二項対立によって、「未来に期待を膨らませる茉莉」と「過去を悔やむ果南」という対立関係が指摘できる。
 

梨子が海に飛び込むシーン

このシーンは第1期第1話中で、最も重要な描写である。
地元民である千歌や果南は、「空を見上げる=下から上」という動きが多く描かれていたが、外からやってきた梨子は「海に飛び込む=上から下」という対照的な行動を行う。
もともと「海」や「水」といったモチーフは、物語において「生・死」特に「死」と強く結びついている。そのため梨子の「海に飛び込む」という行為は、そのまま死を意味する。
ここでは、もちろん直接的な意味ではなく、言うなれば「音乃木坂学院高校の生徒としての桜内梨子」の死と考えることができる。
そして、梨子の目的は海に飛び込むことによる「再生」である。
海への飛び込みにより、一度形式的な死を迎え、そしてそこで生まれなおす(例えば息継ぎなどで海面に出る)ことで、「音乃木坂学院高校の桜内梨子」から「浦乃星女学院の桜内梨子」へと生まれ変わるのである。
しかし、ここではその目論見は失敗する。
このシーンは、物語の登場人物の「通過儀礼(イニシエーション)」と捉えることができる。つまり、上述の生まれ変わりを通して、新しいコミュニティーの一員となるのである。だが、現段階では、通過儀礼は千歌によって阻止され、コミュニティーへの帰属は達成できていない。
梨子のいう「海の音」とは、この文脈で考えると「母体の心臓の音」とも捉えることができる。いうなれば母体への回帰であり、そこからの再誕を梨子は模索していた。
 

千歌が星を見上げるシーン

ここでもやはり見上げるという行為が描かれており、千歌の輝きたいという目標とμ’sへの憧れ、そしてその位置の高さを示している。
この地理的な立ち位置の変化もまた、今後分析する上で重要な要素になるかもしれない。
 

総論

第1話ということもあり、要素の不足も考えられるが、それでも今後の進行への布石と捉えることのできる描写がいくつか見受けられたように思う。

基本的には、各話単体での分析を行うが、必要であれば各話を結びつけた論も展開する予定である。

 

まとめ

どうでしたか?かなり熱量があったかもしれません。

わたし自身はとても楽しかったです。これからも続けていきますよ〜!

目標は劇場版公開までに全話考察完了です。

お付き合いのほど、よろしくお願いしますね。

 

 

お疲れ様でした。

それでは、また。

 

うつ病経過報告兼備忘録

今日は通院日でした。

前回から一週間経っているわけですが、状態はすこぶる良い感じです。

 

調子が悪くなってからお休みをもらっていたお仕事も、数日後には復帰できそうです。

ほんとは一ヶ月くらい休ませたかったけど…と言われましたが、まぁ大丈夫でしょう。

 

で、今回のお休みで新しく処方されたお薬があったのだけれど、エビリファイ錠ってやつなんですけどね。

 

わたしが服用した量ではまず出ないと言われたんですが、副作用がありまして。

すごく、そわそわするんですよね。

まず出ないらしかったのに、服用した翌日からバッチリ副作用出ました。

 

ほんとに落ち着かなくて、毎日外出してました。

あんまり良くないんだけど、居ても立っても居られず、本を買い漁ってしまった…。

 

去年、前の仕事をやめて休養を取っていた時にもおんなじ副作用出たんですが、このじっとしていられない、っていうのは地味にすごく辛いんですよね…。

当時は、眠気が強かったり、精神的に不安定だったから運転もできないので自分では外出できず、ひどく苦しんだ記憶があります。

 

今回はそこまで状態は悪くなかったので、気軽に外出できたのは幸いでした。

ただ、あれしたいこれしたい!となるわりには、集中力とか体力がついてこなくて、宙ぶらりんになるのはいけないですね…。

夜中に急に興奮して眠れなくなったりしましたし…。

 

 

とりあえず、出勤したら勤務形態について上司と相談ですね。

うちは業務の関係で時間差出勤があるんですが、それをしばらく固定にしてもらおうと考えています。

会社の方から提案してもらえたので、非常にありがたい。

精神障害者手帳取って会社に貢献しようかしら。

3級しか取れないので、年金は出ませんけどね…!

 

 

こんな感じでした。

ただ書き連ねただけでほんとに備忘録ですね…。

おしまい。

 

 

お疲れ様でした。

それでは、また。

のまど流、読書感想文の書き方

わたしは本屋さんが大好きで、暇さえあれば毎日行ってるんですが、最近読書感想文のコーナーを見つけました。

 

今年の課題図書が積まれているんですが、ふと思い出したのは、読書感想文苦手だったこと。周りの同級生も苦手意識持っている子が結構いました。

 

そこで今回は、わたしなりの読書感想文の書き方、本の読み方をご紹介してみようと思います。

読書感想文だけでなく、読書の参考になれば嬉しいです。

 

物語の読み方は2種類ある

まず、読み方のタイプですが、2種類あると考えています。

一つが、「人物(感情)追従型

もう一つが「環境(状況)俯瞰型」です。

呼び方はのまどが適当に考えたので無視しても大丈夫です。

 

大事なのは、物語についてまとめたり説明したりする時に、どちらの立場に立つか、ということです。

 

なぜタイプを意識するのかというと、「書く内容にまとまりができる」ため、「書きやすい」だけでなく「わかりやすい」感想文が書けるからです。

 

よくある苦手意識に「何を書いて良いのかわからない」というのがあります。

タイプを決めてしまえば、あとはそれにしたがって物語をまとめれば良いのでずいぶん楽になると思います。

 

では、タイプごとの読み方を説明していきますね。

 

人物(感情)追従型の読み方・書き方

このタイプはわかりやすく挑戦しやすいので、初心者向けと言えます。

 

やり方は、名前の通り、とにかく登場人物の感情を追いかけます。とことん追いかける。

この時、追いかける登場人物は一人に決めた方が良いです。

 

物語の中で、最初にその人物が出て来た時から最後まで、どういう風に感情が変化していったのかを書いていきます。

 

最初はAという感情(気持ち)だったが、Bへと変化し、最終的にCになった

というような筋道をまず作ります。

 

そしてそれぞれの感情について、「なぜその感情なのか」や「変わったきっかけは何か」、「変わったことによってその人物に何が起こったか」などをまとめます。

 

あとは、まとめた内容を筋道に結びつければ、一通りのかたちが作れます。

感情について書いてある文章を探し出せばだいたい書けるので、割と簡単だと思います。

これにあなた自身の経験や感想を混ぜれば、立派な感想文の出来上がりです!

 

環境(状況)俯瞰型の読み方・書き方

このタイプは、少し難しいので文章になれている人や物語を読むのに自信のある人が

挑戦してみてください。

難しいぶんだけ、書ければ大人っぽい、かっこいい感想文が書けますよ。

 

こちらも名前の通り、物語に出てくる場面(環境や状況)をまとめていくやり方です。

少し難しいですが、登場人物やその感情よりも、登場人物がいる背景を考える、という方法です。

 

「俯瞰」とは、物事を離れて見る、という意味ですが、この意味にしたがって、物語を離れて読みます。

 

人物(感情)追従型が、とにかく感情や気持ちに注目していたのに対して、このタイプは人物や感情についてはあまり考えません。

あくまで優先するのは登場人物を取り囲む環境や状況などの場面です。

 

どうやって感想文を書くかというと、流れは人物(感情)追従型と同じです。

最初はAという場面(環境・状況)だったが、Bへと変化し、最終的にCになった

という大筋をまず作ります。

 

そして「なぜその状況になったのか」「そのとき登場人物はどうしているのか」「場面の変化が物語にどのような影響を与えたのか」などをまとめていきます。

 

最後に、筋道に合わせて、まとめた内容を結びつけていけばかたちになります。

場面について描かれている文章は、意外と見つけにくいので難しいと思います。

頑張って探しましょう。

慣れるとすぐに見つかりますよ。

あとは、みなさんの経験、感想を混ぜてあげれば出来上がりです!

 

また、一段上の書き方として、場面ごとの登場人物の感情の変化を考えるのも良いと思います。いわば二つのタイプの合体ですね。

「この場面の変化が登場人物の感情に影響した」とか「場面がこう変化するのに合わせて、登場人物の感情もこのように変化している」などに注目できると良いですね!

 

読み方を身につける

いかがでしたか?できるだけわかりやすく書いたつもりですが、特に二つ目のタイプは難しく感じたかもしれません。

 

今回紹介した二つの読み方は、一度身につければ一生使えます。

どんな物語も読むのが簡単になりますし、感想文や物語について話し合うときにも活躍します。

何より、読書が楽しくなると思います。

自転車の乗り方とかと同じですね。一度身につければ良くて、自転車に乗ることが楽しくなる(人によりますが)。

 

今回の記事がみなさんの読書生活の一助になれば嬉しいです。

 

 

お疲れ様でした。

それでは、また。

昭和歌謡は本当に現代のJ-POPよりも優れているのか。

みなさんこんにちは。

今日は前々から疑問に思っていた、「やっぱり昭和歌謡の方が良いよな」という考えに対して色々書いていきたいと思います。

動画投稿サイトでのコメントを見ていると、やたらと昭和歌謡を礼賛する声で溢れているんですね。

曰く、「俺たちの時代が一番だ」

曰く、「自分、世代じゃないけどこの時代の歌が一番好きッス!」

 

果たしてこの見解はどこまで有効なんでしょうか。

 

実際にそうじゃないの?という方や

疑問に思ってた!という方も

読んでいただけたら嬉しいです。

 

まず個人的な立場を表明しておくと、「どちらでもない」です。

中立と言うか、そもそも分離して考えうる問題ではないんですね。

 

昭和歌謡>J-POP派

まずは、昭和歌謡優勢派ですが、主張されるポイントは大きく分けて2つあると思います。

 

①「楽曲のシンプルさ」

わかりやすい、と言う言い方をわたしはよく使うんですが、例えば1番のメロディーを覚えればその曲を全部歌える、とか、初めて聴く曲でもなんとなく次の音が予想できる、とかですかね。

実際楽譜を見てみると、驚くほど簡素な構造になっていることが多いです。和音も単純で、メロディーも言ってみれば、ありきたり。

 

これを元に繰り出されるのは「今の曲はややこしすぎてよくわからない」「歌詞が多すぎて(細かすぎて)聴き取れない」などなど。

(余談ですが、音楽番組で歌詞が表示されるようになったのは、サザンが最初らしいです。)

 

②歌唱力の高さ

よく、昭和歌謡歌手は歌が上手い、と言う言い方がされます。

音響に頼らず、自分の歌声のみで有名になった印象が大きいのではないでしょうか。

 

例えば、キーヨこと尾崎紀世彦さん(わたしも大好き)や布施明さん、加藤登紀子さんや、ちあきなおみさんなどなど。

 編集技術が低かった時代にあれだけ歌えるのは、歌唱力があるからだ、となるわけです。

 

一方で現代はと言うと、か細く弱々しい声で歌う歌手のなんと多いことか!情けない。

歌手の未熟さを編集や音響でごまかしている。

などなど。

 

昭和歌謡支持者への反論

以上の主張に対して、反対派はどのような意見が言えるでしょうか。

 

全体的に言えること

そもそも、昭和歌謡と言う昔の曲が良いと感じるのは、思い出の多くが淘汰されたものであるのと同様で、良いと感じられるものだけが、淘汰され残っているからである、と言う反論が可能です。

当時ですらひどい曲や歌手はあったでしょうし、出る曲全てが名曲ではなかったはずです。

 

同様に、現代の若者が「俺今っ子だけど昭和歌謡の方が好きだぜ」と言うのも、淘汰されたものにしか出会っていないためではないか。

 

①についての反論

実際のところ、あまりにシンプル(単調)なものが続くと聴き手は飽きてしまう、と言う問題があります。音楽産業である以上、他との差別化をはかる必要があるし、競争も生まれる。

 

同じような現象は、いわゆるクラシック音楽の歴史の中でも度々起こっています。

音楽のさがと言えるかもしれません。

 

つまり、「日本における音楽」と言う巨視的あるいは通時的な見方をとると、この主張は単なる個人の好みの問題に収斂していきます。

 

②についての反論

これについても、ある程度は通時的な立場を取れば反論できる部分があります。他との競合によって差別化をはかると、必然的に新しい試みや技術に向かうものだと思います。

 

また、歌唱力については、今日でも有名な名歌手であるフランク・シナトラの話が参考になるかもしれません。

 

彼は、マイクの技術が発達して以降は、声を張らず、ささやくような歌い方(クルーナー唱法と言います)にシフトしていました。

歌唱力一本のイメージがあるシナトラも、その当時出てきた新しい技術を取り入れた歌い方をしていたのです。

 

あるものをうまく使う、と言う考え方はある種非常に合理的であると思います。それによって表現の幅が広がる(単調から脱する)のであれば、なおのこと有用ではないでしょうか。

 

昭和歌謡と言う幻想

結論としては、「どちらかが優れている」と言う問題ではない、となるかと思います。

結局日本の世俗的な歌謡曲として考えるならば、昭和歌謡もJ-POPも分けて考えられるものではないし、もっと言うならば同じ直線上に存在しているものなんですね。

 

動画投稿サイトで、J-POPの動画に対するコメントには、あまり「やっぱりJ-POPが最高だぜ!」みたいなのないんですよね。

あるのは昭和歌謡の動画に対してだけ。

きっと、コメントを残している人たちはあるはずのない栄光のような幻想を、昭和歌謡に見ているんじゃないでしょうか。

思い出にすがると、過去は輝いて見える。

 

 

と、言うことで、つらつら書いてみました。

もっと具体的な資料が提示できたらもっと説得力が出たんでしょうけど…。

でも、一つ思いを形にできたので満足です。

 

お疲れ様でした。

それでは、また。