のまどのまど

音楽や芸術について、気ままに書いたり描いたりする雑記ブログです。

昭和歌謡は本当に現代のJ-POPよりも優れているのか。

みなさんこんにちは。

今日は前々から疑問に思っていた、「やっぱり昭和歌謡の方が良いよな」という考えに対して色々書いていきたいと思います。

動画投稿サイトでのコメントを見ていると、やたらと昭和歌謡を礼賛する声で溢れているんですね。

曰く、「俺たちの時代が一番だ」

曰く、「自分、世代じゃないけどこの時代の歌が一番好きッス!」

 

果たしてこの見解はどこまで有効なんでしょうか。

 

実際にそうじゃないの?という方や

疑問に思ってた!という方も

読んでいただけたら嬉しいです。

 

まず個人的な立場を表明しておくと、「どちらでもない」です。

中立と言うか、そもそも分離して考えうる問題ではないんですね。

 

昭和歌謡>J-POP派

まずは、昭和歌謡優勢派ですが、主張されるポイントは大きく分けて2つあると思います。

 

①「楽曲のシンプルさ」

わかりやすい、と言う言い方をわたしはよく使うんですが、例えば1番のメロディーを覚えればその曲を全部歌える、とか、初めて聴く曲でもなんとなく次の音が予想できる、とかですかね。

実際楽譜を見てみると、驚くほど簡素な構造になっていることが多いです。和音も単純で、メロディーも言ってみれば、ありきたり。

 

これを元に繰り出されるのは「今の曲はややこしすぎてよくわからない」「歌詞が多すぎて(細かすぎて)聴き取れない」などなど。

(余談ですが、音楽番組で歌詞が表示されるようになったのは、サザンが最初らしいです。)

 

②歌唱力の高さ

よく、昭和歌謡歌手は歌が上手い、と言う言い方がされます。

音響に頼らず、自分の歌声のみで有名になった印象が大きいのではないでしょうか。

 

例えば、キーヨこと尾崎紀世彦さん(わたしも大好き)や布施明さん、加藤登紀子さんや、ちあきなおみさんなどなど。

 編集技術が低かった時代にあれだけ歌えるのは、歌唱力があるからだ、となるわけです。

 

一方で現代はと言うと、か細く弱々しい声で歌う歌手のなんと多いことか!情けない。

歌手の未熟さを編集や音響でごまかしている。

などなど。

 

昭和歌謡支持者への反論

以上の主張に対して、反対派はどのような意見が言えるでしょうか。

 

全体的に言えること

そもそも、昭和歌謡と言う昔の曲が良いと感じるのは、思い出の多くが淘汰されたものであるのと同様で、良いと感じられるものだけが、淘汰され残っているからである、と言う反論が可能です。

当時ですらひどい曲や歌手はあったでしょうし、出る曲全てが名曲ではなかったはずです。

 

同様に、現代の若者が「俺今っ子だけど昭和歌謡の方が好きだぜ」と言うのも、淘汰されたものにしか出会っていないためではないか。

 

①についての反論

実際のところ、あまりにシンプル(単調)なものが続くと聴き手は飽きてしまう、と言う問題があります。音楽産業である以上、他との差別化をはかる必要があるし、競争も生まれる。

 

同じような現象は、いわゆるクラシック音楽の歴史の中でも度々起こっています。

音楽のさがと言えるかもしれません。

 

つまり、「日本における音楽」と言う巨視的あるいは通時的な見方をとると、この主張は単なる個人の好みの問題に収斂していきます。

 

②についての反論

これについても、ある程度は通時的な立場を取れば反論できる部分があります。他との競合によって差別化をはかると、必然的に新しい試みや技術に向かうものだと思います。

 

また、歌唱力については、今日でも有名な名歌手であるフランク・シナトラの話が参考になるかもしれません。

 

彼は、マイクの技術が発達して以降は、声を張らず、ささやくような歌い方(クルーナー唱法と言います)にシフトしていました。

歌唱力一本のイメージがあるシナトラも、その当時出てきた新しい技術を取り入れた歌い方をしていたのです。

 

あるものをうまく使う、と言う考え方はある種非常に合理的であると思います。それによって表現の幅が広がる(単調から脱する)のであれば、なおのこと有用ではないでしょうか。

 

昭和歌謡と言う幻想

結論としては、「どちらかが優れている」と言う問題ではない、となるかと思います。

結局日本の世俗的な歌謡曲として考えるならば、昭和歌謡もJ-POPも分けて考えられるものではないし、もっと言うならば同じ直線上に存在しているものなんですね。

 

動画投稿サイトで、J-POPの動画に対するコメントには、あまり「やっぱりJ-POPが最高だぜ!」みたいなのないんですよね。

あるのは昭和歌謡の動画に対してだけ。

きっと、コメントを残している人たちはあるはずのない栄光のような幻想を、昭和歌謡に見ているんじゃないでしょうか。

思い出にすがると、過去は輝いて見える。

 

 

と、言うことで、つらつら書いてみました。

もっと具体的な資料が提示できたらもっと説得力が出たんでしょうけど…。

でも、一つ思いを形にできたので満足です。

 

お疲れ様でした。

それでは、また。

うつ病体験記。

うつ病がぶり返しました。

と言っても、いくらかましになったんですが。

せっかくなので、備忘録的に、ぶり返している現状を書いていきます。

 

異常に眠い日々

過去記事の「社会人一年目でうつになった話」でも書いた気がするんですが、睡眠がコントロールできなくなりました。

 

blanc-nomade.hatenadiary.com

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 もう四六時中眠い。どれだけ睡眠時間を確保しても寝足りない。

仕事中も眠いし、運転中も容赦無く眠くなります。

気がつくと中央線越えかけてたり…。こわい。

休みの日は何かしようと思う間もなくずっと寝てました。

お医者さん曰く、「エネルギーが切れてるから、貯めてるんだ」そうです。

 

食欲がなくなる

典型的な症状かもですが、食欲がなくなりました。

おやつもいらない。

特にダメになったのが、白米です。

匂い嗅いだだけで気持ち悪くなる。

というか、想像しただけでなる。

今もなってる。

 

「つわり」かよってわたし含めてみんな思ってる。

本物は当分の間縁がないと思いますが、こんな感じなんだろうなぁ…。

 

あと、常に内臓がぎゅうううってなってます。

なんかこう、握りつぶされてるみたいな。

 

自殺願望っぽいのが芽生える

いかにもですよね。

でも、今まで抱いたことなかったんですよね〜。

わたしにとって、自殺っていうのは究極の「自己愛」なので、思うことが気持ち悪くてしょうがなかったんですが。

 

漠然と、生活苦しいし、先も不透明だし、家族に迷惑かけてるし…、わたし、いない方が良いよね…。というかいなくなりたいな。死んでみようかしら。

怖さとかもなくて、自然の成り行きで死んだ方が良いな、っていう感じ。

 

酷くなる前にお薬飲んだのでなんとかなったですけど。

割と自然に死にそうになるので驚いた。

なるほど、みんなこうやって自殺するんですね。

 

思考に靄がかかる

考えがまとまらなくなります。

まとまらないし、脳の周りに靄や膜がかかった感じがして、自分自身の思考なのに、うまく把握できない。

そのせいか、発語も少し不自由になりました。

こうやって文章にするのは割と大丈夫なのだけど、発声を伴うのは難しいですね…。

口だけ開けて、「…ぅぁ…」みたいなことばっかりです。

 

少し考えては、それが散って、また考えては散って…。

違う、違うと頭の中で思うたび、首を小刻みに振るんです。

痙攣したみたいになってるし、自分でも「(またやってる)」と思うんですが、ついやってしまう。

考えることが大好きなので、これはかなりきついです。

 

そして現在、治療継続中

ドクターストップがかかったので、今はお仕事を休んでいます。

一週間ほど休んで、経過観察。

今の職場は上司に恵まれてるので、理解を示してもらい、ゆっくり治すように言っていただけました。ありがたい。

 

お薬が一種類増えて、少し落ち着いています。

 

時折、心臓がひやっとなって、どうしようもなく自分が嫌になることがあったり、衝動的に手を噛んだりしますが、なんとかなってます。

こうやってブログも書けてるしね。

 

これからも、経過をこうやって記事にしていこうかな、と考えています。一番身近なネタが「うつ病」ってどうなの?って感じですが。

 

うつ病は症状の個人差が激しいと思っているので、みんながみんな、というわけではないですが、一例としてお付き合いいただければ幸いです。

 

 

お疲れ様でした。

それでは、また。

速読は本当に効果があるのか(必要なのか)?

みなさんこんにちは。

最近本屋に行くと、ビジネス書のコーナーに必ずと言って良いほど「速読」をテーマにした書籍が置いてあります。

曰く「年に500冊読める!」、「月50冊読める!」などなど。そして著者は速読を専門(?)に教えている講師の方々。

 

なんとも言えないモヤモヤがあったので、速読と多読についていろいろお話ししていきます。

 

速読の効果とは?

一番の疑問はこれだと思います。

「結局のところ、早くたくさん本を読めると、何が良いの?」と言うことですね。

私なら、「どんな種類の本を対象にしているのか?」も気になりますね。

 

で、速読の効果なんですが、「早くたくさん本が読める」だと思います。トートロジーっぽいですが、結局ここに終始するのではないでしょうか。

 

どう言うことかと言うと、速読本(速読を推奨している、教えている本)の著者は大抵「速読の講師」です。

つまり、速読ができるようになった結果、速読を教えることができるようになった、と言うことなんですね。

 

ゲスの勘ぐりをすると、本来は何かしらの勉強のために速読を身につけたんでしょうけど、果たしてその方面では能力が足りなかった(職を得ることができなかった)ため、転向先として講師になったのではないかと…。

 

これって、速読が役に立ってないと思うんですよ。

何かの目的のための手段が、いつのまにか逆転して手段の目的化が起きている。

別に速読である必要はなくないですか?

 

せっかく山のような数の本を読んだのに、そこから得た知識は脇に置いて、手段について教えている。

知識の持ち腐れだと思います。 

 

目的なき速読は毒になる

強い言葉を使ってみました。

オサレな隊長さんなら、「弱く見えるぞ」と言ってくれそうです。

 

でもこれは至言だと思っていて、

①何か目的のために大量の本を短期間で読まなければならなくなった。

②なおかつ、①の本を短期間で読み終える必要がある。

と言う条件の場合のみ、速読って有用になってくるのではないでしょうか。

 

ビジネスマンとして速読できた方が良い、と言うのは、私の目にはいささか浅薄に映りますね。

そんな理由で「速読練習本」と言う二律背反な書籍に手を向けるくらいなら、読みたい本を時間かけて読んだ方がましです。

 

いたずらに蓄積した知識を一体どうしようと言うのでしょうか。それも断片的な知識を。

 

速読の適所は…

あまり辛く当たっても速読信奉者の方に怒られそうなので、私が思う「速読ができたら良いな」と言う状況を説明しておきますね。

 

「特に今後使うかわからないけれど、とにかく大量のビジネス書籍を読みたい」

 

以上です。

このくらいしか思いつかないんだよなぁ。

 

結局のところ、速読というのはビジネス書のようなある程度ライトな読み物に対してしか効力を持たないんじゃないかな、と思うわけです。

 

しっかりした、信用に値する本は、一語一句に非常に気を使って書かれています。

なんども推敲を重ねた上で、世に出ています。

速読というのは、この過程を軽んじる行為ではないかと思うんですね。

 

たくさんの本を読むこと

速読に付随するのが「多読」です。

けれど、多読についても疑問が出てくる。

 

ショーペンハウアーという哲学者は読書について

「他人の頭で考えること」だと言っています。

つまり、他人の思考の過程を読書を通してなぞる、ということですね。

 

そして、他人の頭で考える習慣がつくと、徐々に自分自身で考える力を失っていく。

このようにも言っています。

 

もちろん、多くの本を読むことは人生を豊かにしてくれます。これは間違いないです。

ですが、目的なくただ数をこなして、そのエッセンスだけを蓄積していくと、それに満足してしまいます。

他人の思考をなぞるだけなら、多読も毒でしかないと思います。

 

読書について

読書で大切なのは、しっかり噛んで飲み込む、ということだと思います。

早食いしても、栄養は十分に吸収されません。

丁寧に読み込んではじめて、本の内容が自分の血肉となるのです。

 

とてもじゃないですが、私はベルクソンドゥルーズレヴィ=ストロースの著作を速読しようとは思わないです。

 

ということで、速読について思うことを書いてみました。

なんとなく、速読が書物や著者を軽視している感じがしたので、厳しめの書き口になりましたが…。

 

 

お疲れ様でした。

それでは、また。

失敗者として、ささやかながら、就活について

昨日リクルートスーツを着てバスを待つ女性を見かけました。

もう就活の時期なんですね…。

私にとっては、未だに忌まわしい記憶ですが…。

 

と言う訳で、ささやかながら、就活について思うことを書いていきたいと思います。

就活生の方は、こんな奴もいるんだ程度に思っていただけたら。

鬱屈した思いを抱えてらっしゃる方の気晴らしになればと思います。

 

就活における「強み」と言う呪縛について

自分の強みってよく就活の時に研究したりしませんか?もしかしたら、最近はストレングスファインダーとも言うみたいですが。

これ勘違いしやすいんですが、強みと言うのは、あくまで手札の一つですよね。

なんとなく、こう言う性格だから、ああでないと「いけない」と考えてしまう。

例えば、慎重で落ち着いてる、とかだと営業は向いてないな、とか。

 

経験から言えばそんなことは全くないです。

営業に身を置いていたんですが、同期にも上司にも引くほどいろんな性格の人間がいました。

慎重に一つづつ駒を進めていく人もいれば、大胆にぶつかっていく人も。

 

強みはアピール材料

結局のところ、やりたいことがまずあるのが大切なのかなと。

やりたいことがあって、その職種なり企業なりに自分を売り込んでいく時になって初めて、強みを手札として使うべきです。

私の場合は、職業選択にこれを使ってしまったのが失敗要因の一つですね。

 

…え、みんなアピール材料にしてんですか?

じゃ私だけですかね…。

 

就活浪人と言う選択

みなさんはどうして今頑張って就活してるんですか?

何か明確な理由があって、今年中に決めなきゃいけない場合(恋人から結婚を迫られている、就職しなければ家業をつがされる、指を詰められるなど)はまぁ、仕方ないですが、特に理由もないのになんとなく周りに合わせて就活しておるそこのあなた。

何より、進路がイマイチ決まっていないあなたです。

 

一年延長してみてはいかがでしょうか。

すごく抵抗あると思います。

私の周りも自ら望んで就活浪人した人はほとんどいませんでした。

 

みんな、何かに追われるように就職していきました。そして私も。

 

やりたい仕事があるならば、全力で就活してください。後悔しないように。

夢に向かって頑張れることは、何より素晴らしいことです。

 

ですが、夢がないのに頑張ったって、多分後悔しますよ。

少なくともここに一人、大いに後悔した人間がいます。

 

もう一度。

一年延長してみませんか?

 

まずは落ち着いて、自分とお話してみてください。

あれが好き、これが嫌い。

あれが得意、これが苦手。

と言うかよく考えたら、これやってみたいんだよね。

とか。

時間をかけることではっきり見えてくることもあります。

それは目的地だけではなく、道のりであることも。

 

道が見えてから歩き始めても、遅くはないと思うんです。

急がば回れとも言いますから。

 

自分に嘘をつかない

何より避けて欲しいのは、自分に嘘をつくことです。

ほんとは就活する理由が見つからないのに、なんとなく自分に言い訳して就活して。

内定決まったら、無理やり仕事にやりがいを見つけて。

 

私です。

本当に苦しかったです。

あなたにはそんな目にあって欲しくないです。

 

あなたの夢はなんですか?

その就活は本当に必要ですか?

それをあなた自身が認めていますか?

 

別に人に言えなくたって良いんです。

あなたを一番理解してあげられるのは、あなたしかいないんでしから。

自分の声に耳を傾けてみてください。

 

バイトでもなんとかなる

と思ってます。

幸か不幸か、現代日本は割と豊かなので、よっぽどのことがない限りは死ぬことはないと思います。少なくとも。

(私自身は死ぬほうが難しいとすら思っています。)

 

一年ブランクができるのは生活面で不安かも知れません。

正直不安ですよ。

就職していた頃の半分くらいしか収入ないし。

 

でも、きっとなんとかなると思います。

だって、あなたが選んだ道だもの。

逆に言えば、ブランク作る覚悟で延長したのだから、そのくらいは受け入れるべきです。

だから、なんとなくで延長したらダメですよ。

ちゃんと考えて、あなたの意思で決めてください。

 

多少生活が苦しくとも、自分を騙して生きるよりもストレスは少ないんじゃないでしょうか。

 

今日び第二新卒とか大学中退者とか珍しくないです。

バリバリのビジネスマンでもそう言う人たくさんいると思います。

 

終わりに 〜将来と就活〜

とまぁ就活に関してネガティヴなことをつらつら書いてみました。

ちなみに就活が良くないわけじゃないですよ。

なんとなくで就活する、と言う行為が良くないのです。

 

個人的には、就活はもうしたくないんですが、結局またすると思います。

転職とかするだろうし。

 

思い違いして欲しくないのは、就活は「将来」の要素の一つ、と言うことです。

あくまで一つ。

有名企業に就職できても、それで将来が決まることはないです。多分ね。

なんか良いことあるかも、くらいじゃないですかね…。

 

大切なのは、あなたが何を望むのか。

それをあなたは認めてあげているのか。

だと思います。

 

せめて、この時期を振り返って後悔する、私のような人間が減ることを願っています。

 

ささやかながら、就活について。

 

 

お疲れ様でした。

それでは、また。

 

 

 

 

 

みずちの腹は少女に似て。

みずちの腹は少女に似て。

    その口の柘榴の色は、きっと少女の心臓の色。

    水を弾く密な鱗は、未熟な彼女の硬さを思わせる。

    とぐろを巻く姿は、その場にとどまるために疾走する赤の女王。

それはおそらく明日の彼女。

 

潰した柘榴を彼女が口にする時、ひとかけらの種がこぼれた。

    それは重力を感じさせながら地面に落ちた。

 

季節を巡れば種は芽を出して。

    大きく育ったその樹にはみずちが巻きつくだろう。

 

少女に差し出す柘榴を選ぶために。

 

あだむといゔに知恵の実を与えたみずちは果たして雄だったか。

 

みずちは少女に柘榴を与える。

    その実に似た心臓の彼女に。

 

みずちは少女に柘榴を与える。

    やがて己になる彼女に。

 

真っ赤な舌を覗かせながら、喰べてごらんと唆かす。

 

みずちの腹によく似た少女に。

蔵に棲む鳩

       薄灰色の光を 

             鈍く通す羽の  

        寄り集まったうでを拡げて わたしは

            地球 の引力にうなだれて捕らえ られており

     その時左眼の端 

         から   景色を閉じこめた虹 色がひっそり

              とすじになって頬 

                  を往った

         白く塗られた壁  の剥がれ かけた蔵が

          わたし  のほうに影を濃く  し ていくよう

              に雲が見せている

          如才なく渡る風   の温度が

             わたしのりんかく 

             を逆なでて いくのをただ感じて いて

 

続・新卒一年目で鬱になった話。

この記事は前回の続きです。

 

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文系院卒、会社アレルギーを自覚

前回の通り、周りの目や自分自身の羞恥心のために社会人デビューを決意した私。

入社式で早速居心地の悪さを感じます。

 

「なんかみんなギラついてんなぁ…」

 

私の周りにいるのは、ちゃんとした動機を持って入社した、やりたいことがあって入社した同期たちばかりでした(もちろん、私以外の全員ではなかったでしょうが)。

 

きっちり決めたお化粧にスーツ、髪型もバッチリで…。

入社前研修で仲良くなったのか、すでに和気藹々とした雰囲気を放つみなさん。

いささか、いやかなり、根暗インキャの年増には辛い。

 

数日前までは完全個人プレーで好き勝手やっていたものですから、同期の結束!とか言われてもよくわかりません。

 

何より、「社会の一員として、会社の顔となる云々」と言う文言。

 

今まで散々甘えていた「社会的地位」が、こんなにじっとりと身体にまとわりつくとは思いませんでした。そして、それを心から嫌がっている自分がいることも。

 

「組織に組み込まれる」ことがただ恐怖でした。

 

「(無理無理無理無理カタツムリ…)」

入社式からしばらくは研修の毎日。笑顔、お辞儀、挨拶など、ビジネスマナーを教え込まれたり、研修合宿で会社運営や営業のロールプレイングをしたり…。

地方の出身なんですが、入社式からずっと東京に缶詰でした。

 

「人財」とか「気づき」とか「学び」とか、役員の講話を聴いてどうだったとか…。

 

本当に嫌だった。なんであんなに嫌だったのかよくわからないんですが…。

 

ちなみに、この頃(入社一ヶ月くらい)の時点ですでに、夜中に何度も目が覚めたり、身の回りや趣味のことが手につかなくなることが増えていました。

 

新卒院生、配属先が決まる。

私の会社は子会社で、同期は割と田舎出身の子が多かったです。

そのせいか、面談の際に、みんながみんな「東京は嫌です!」と言っていたらしいんですね。

私の時は「東京どう?」って聞かれたから、「まぁ、良いところですよね」って答えたわけです。全く知らない土地で働くよりも、ある程度住んで慣れている土地の方が良い、とも言いました。

 

頭の中では、まず地方に飛ばされる → そこで経験積む →都市部に配属

→地元に帰る って言う流れを想像していたのです。

 

 

やってきた勤務先発表の日。心なしか同期たちも浮き足立ってる。地元の話が多かったかな?一種のお祭りみたいな。

 

そして始まる社員名の読み上げと勤務地発表。一人、またひとりと名前が呼ばれていきます。

 

いよいよ私の番!さてどんな辺境の地に飛ばされるのかしら〜。

「XXXX会社所属、乃窓 羊! 〇〇〇〇東京支社!!」

 

東京支店

 

とうきょうしてん

 

トーキョーシテー

 

(嘘でしょ…?)

 

 

こうして私の東京滞在は延長戦に入ったわけであります。

 

ここから先の日々はみなさんご存知の「ザ・東京」の生活でした。

 

某「プロブロガー」?「アフィリエイター」?の何某さんがたった一年で消耗してしまう世界が口を開けて待っていました。

 

 

会社と家の往復の日々

東京の生活自体には、研修期間にあらかた慣れていたんですが、やっぱり研修と配属されてからは微妙に感覚が違うわけです。

 

自分で言うのもなんですが、割と真面目で自分の意見を言得たりするので、それなりに期待されておったように思います。

 

職種はいわゆる「営業職」「サービス業」に分類されるものです。お客様の生活を豊かにするために、いろいろなサービスを提案したり、何か問題があった時にはお客様の代わりに業者とやりとりしたり…。

 

この職種全般に言えることかもしれませんが、「お客様ありき」なのでどうしても受動的な動きがメインになります。呼ばれていく、とか問題が起きてから対応する、とかね。

 

するとどうなるかと言うと、生活がお客様に振り回されます。

私は結局、本格的に業務が始まる前に辞めちゃったんですが、上司の方々には真夜中に呼び出されたり、休日にわざわざ出向かなきゃいけなかったり…。

 

全然休めなかったです。

帰りも遅くなる、もともと疲れやすい、休みが少ない。

 

私の生活範囲はどんどん狭く、乏しくなっていきました。

厄介だったのは、職場の人たちはとても親切で優しかったことです。ちゃんと指導してくれて、サポートもめんどくさがらずにしてくれて…。環境は恵まれていたと思います。

 

おかげで、はっきりとした原因がわからないまま、徐々に蝕まれていきました。

 

まず、眠れなくなりました。

全くと言うわけではないけれど、寝つきが悪くなり、夜中に目覚めることが多くなり、自分で睡眠がコントロールできなくなりました。

これが結構重要な指標になると思います。

 

次に食欲が無くなります。

私の場合は、食べられなくなる、と言うよりも食に関する興味が無くなりました。

毎日同じものを食べても何も思わないし、お腹空いていてもなんとなくで食べなかったり。

逆に、常に何か食べてないと落ち着かないこともありましたね。

要するに食生活がとっても乱れました。

 

わかりやすい異変としてはこの二つが大きいんですが、もう一つ、見えないけど非常に大事なのは「自己決定ができるかどうか」です。

これは性格によってわかりにくいこともありますが…。私もその類です。

 

とにかく物事についての判断・決定ができない。本当に些細な、それこそご飯をどうするか、休みの日に外出するか、この本を買うかどうかなども全く考えられない。自己決定に関する思考回路がなくなったみたいに。

 

そんな生活が数ヶ月続いていました。家族や友人に調子を尋ねられても、「ぼちぼち」としか答えませんでした。自分がどんな状況なのかもわからない。

 

 

気がつくと、鬱だった

ある日、朝目がさめると、会社への行き方がわからなくなっていました。

よくわかりませんよね…。自分でもそう思います。

 

でも、本当にわからなくて、どうやってベッドから出ていいのか、どうやって着替えたら良いのか(そもそも着替えるとは?)、家から出て、どうやって会社に行ってたんだっけ…?

 

わからないわからないわからない……。

 

かろうじておかしいと思えた私は、なんとか会社に連絡を取ります。

「体調が悪く、病院に行くので遅れます」と。

少し冷静になっていたので、スーツに着替えることはできました。

 

(しっかり治せ、と上司からお休みの命令が出ましたが)

 

その後、精神科に連絡しその日のうちに診察を受けました。

ここら辺の判断ができたのは、大学時代にも鬱になったことがあったからですかね。

 

 

 そして無事に鬱と診断された私は、会社に報告し、しばらくのお休みと傷病手当をいただくことになりましたとさ。

 

ここでも、上司が取り計らってくれて、いろいろ手配してくれました。

やっぱり人間関係には恵まれていたと思います。

 

 

 と、言うことで鬱になったところまで書けました。

結局何が原因だったのかわからないので、「いろいろなことが重なりまくった」としか言えないんですよね…。

今も東京好きだし…。

 

もし最後まで読んでくださった方がいらっしゃったら、途中の自身に起こる異変を気に留めてもらえたら、と思います。

当然症状の現れ方は個人差がありますが、おおよその傾向としてあるのではないかな、と考えています。

 

 

この後のお話は、また気が向いたら書きます。文章量すごい。

みなさんは、ぜひご自身の声に耳を傾けてあげてくださいね。

 

それでは、また。

お疲れ様でした。